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ペルソナ2世界の構造についての考察のようなものと書について 12:29
 久しぶりに考察ですー。ついにこのブログの検索ワードトップが豪炎寺を抜いて笑 「ペルソナ2考察」になったよ!(時点僅差で達淳)イヤまあ今まで豪炎寺がトップだった事が異常なんですけど…
何言ってるんだこいつ的な考察かもしれないけど今後もこの路線です。ちなみに今回の考察はほんのちょっとだけ私の達淳の長編にも関わってます。(これが全部ではないですが)


ペルソナ2における世界自体がそもそもなんなのか、ということについて考えてみました。
考察1回目で、罪罰世界は誰かの手による幻想描写という非常にうみねこ的な考察をしましたが、今回はそれも踏まえつつもうちょっとシンプルにいってみます。

ストーリー上では、罪罰世界は独立して存在していて、達哉いわく心の海で繋がってるらしい。

ということは、それぞれが海に浮かんでいる同じかたちの別の島、=平行世界?

いわゆるパラレルワールドもの(私の知る範囲ではうみねこやひぐらしや幻水ティアクライスです)では、それは「カケラ」と呼ばれたり、別世界に行く事を「トビラ」と言ったりしています。

ティアクライスでは同軸に存在する同じ世界を「百万世界」と呼び、トビラという場所から自由に行き来できるわけです。ちなみに「入った場所からしか元の世界に戻れない」というルールが存在します。
こっちはペル2より逼迫した状況で、それぞれ存在している世界を全部一つにしてしまおうというラスボスと戦うストーリーなんですね。そのラスボスも、ニャルみたいに悪意の元で、ではなく、「台風や洪水のような自然災害と同じ次元」の存在である上、主人公が選択をあやまるとなんとそのラスボスと同じ存在になってしまうというからたちが悪いです。ラスボスは世界の未来のすべてが書かれている「真正なる一書」という本を持っています。

うみねこでは、高位の存在の魔女以外「カケラ」を渡る事はできません。また、それぞれの「カケラ」は「ゲーム盤」と呼ばれ、ゲーム盤にはそのゲームを操るゲームマスターが存在します。ゲームマスターは高位の魔女より下位の存在です。高位の魔女と、ゲームマスターのみ、そのゲーム盤の裏側(ミステリーの種明かし)を知る事ができます。
ゲームマスターは「駒」と呼ばれる登場人物たちを動かし、同じ基盤のなかで微妙に展開の違うストーリーを展開させ、対戦相手を謎に導きます。その過程が「うみねこのなく頃に」のエピソード1〜4として受け手である読者に展開されます。

私はどちらかというとペルソナ2の世界観はうみねこに近いと思っているのですが、そのうみねこでもありえないことを達哉が行っているのです。
うみねこでは、エピソード3の登場人物がエピソード4に登場する事はあります。
しかし、その人物が自らの意思で元いたエピソードに帰ることはありません。
同じ人物に別の世界での記憶が存在する、というのは、ひぐらしの梨花に近いものがありますが、それでも梨花が記憶のあるカケラに帰る(おそらく帰れない)、ということはありませんでした。

もうひとつ例を挙げます。
松枝版P2の第16話です。突然あらわれた崩壊した珠領椹圓紡を踏み入れた主人公たちに。

「知ってる?人の未来は無数に分岐してる。どの道を選ぶかは偶然であって人の意思じゃない。ここは運命の力に負けた無惨な未来」

これは女神異聞録ペルソナに登場するニコライ博士の息子であるキャラクターの台詞です。
しかし、困った事に「人」とは具体的に誰なのかは述べられていません。(言及はされていませんが、多分罪世界ではない、と思います。松枝版P2は時間軸的に「罰の1年〜半年前」ということなのですごい悪の罰達哉も高2のはずです。)
人類が意気投合して破滅に導かれたのか、特定の誰かの選択でこうなったのかはわかっていないのです。
達哉たちが全くでないんですがこういう細かい設定がにくい松枝版P2の場合は、世界の均衡はどうやら「赤と黒の書」がなければ保てないようです。

ではその書とはなんなのかというと、前述のティアクライスで紹介した「真正なる一書」によく似ています。
フィレモンいわく「世界のすべてが記してある書であり、人が人以上のものへ変わる為の書」、とのことです。
どこかできいた事がありますね。
罪世界における「イン・ラケチ」ということでしょうか。フィレモンは「人の可能性を信じて赤と黒の書を人の手に委ねる」としましたが罪世界では失敗したようです。

そしてどうやら、本の形をとってはいますが、「書」というのは「運命」であるらしいことも松枝版を読むと分かります。
「運命」だからこそ運命アルカナの淳が深く関わるのもむべなるかなということなんでしょうか。胸が熱くなります。

「運命を人の手に委ねるとどうなるのか」
これがフィレモンとニャルの実験であり、ニャルにとってはフィレモンとのゲームである。人が存在する限り彼らは存在する。そのゲームの模様を描いたのがペルソナ2罪罰や松枝版P2。
そしてそれぞれの実験結果が罪(ゲーム第1セット)罰(ゲーム第2セット)。
別の見方をすれば、ニャルラトホテプ=「起こった事を全て運命という言葉で片付けるための存在」、フィレモン=「定められた事柄に抗おうとする人の意思」の具現化、とも考えられます。

うーん、個人的にこれを幻想描写と言わなくて何だと思いますが笑
達哉たちはその可能性を委ねられた、言い方は悪いですが実験材料であり、私達がよく知る罪の一連の達哉は「受けてであるプレイヤー(観劇者)に一部ピックアップして公開された可能性の一部」であるということで、罪世界 の一連の流れも、「主人公である達哉と、彼に深く関わる淳のふたりに委ねられた運命のゆくえ」ということになるのではないでしょうか。松枝版P2で最終的 にその本は主人公とその親友に委ねられたあたりも、この可能性を示唆してるんじゃないかな。
一部公開だから当然他の展開も無数に考え得るわけで、それらを生み出すのは想像する私達(人)=これもニャルフィレ風にいえば心の海で生まれる可能性の実験、だったりして…。
私の心の海じゃ達淳ラブラブエンドしか生まれませんが笑!

なので、あくまでもやはり罪罰を通しての主人公は達哉なんだろうと思います。罰でもフィレモンは舞耶じゃなくて達哉顔だし。
フィレモンがさらっと10年前のリセットについて言っていますが、具体的には「達哉があの日夏祭りに行かない選択をした」「夏祭りには行ったが淳との関わりをもたなかった」という選択をした事になるのかなと。
それぞれの世界を自分の意思で行って帰る事ができる、というのは特異点という名前で言われてはいますがある種の権限ですよね。可能性を選ぶ事のできる主人公だからこそじゃないかと。

だから、達哉が「元の世界に帰る」というのはもしかしたら「選択をし直す」ということなのかもしれません。
達哉の言う「心の海で逢える」というのは、自分の選びなおした可能性が今の罰世界と交差する事があるかもしれない、ってことかなと。
で、何故そんな事ができるのかというと達哉が主人公(=ペルソナ2が達哉の主観で語られる話)だからです。

公式マスターズガイドで淳と思われる「ぼく」の手記がこう述べています。

「断ち切られた連鎖は、断ち切られた事自体が新たな集合を生み、次なる連鎖の元となる。わずかな人の生の中でめぐりあうものの数は限られている。今、ぼくの目の前にある1は、果てしない連鎖のわずかな一部分でしかない」

おそらくこの「ぼく」は自分が可能性の一部である事を理解して、それでもなおかつ自らの意思でそれを受け入れて生きようとしているのです。

ただこの一連の文章は、雨が降っても濡れて歩こうと思う事に似ています。
傘をさすことも、軒下で雨を凌ぐ事もできるはずなのです。できればおそらくはこの書き手である淳に、達哉がそれを気づかせてくれる事を達淳的にせつに願ってやみません。

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