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ペルソナ2考察その3/罪を犯した世界の達哉と淳は共存できない。 08:57
7月ですね!淳の中の人と達哉のお誕生日月到来ですね!
なんでか5時に目が覚めたのでランニングってきました。27日にはなんかお祝いできるといいなあ! 

続きに前回の考察のつづき。

罰のラストで、達哉は一人罪世界に戻ります。
罪罰をプレイした人がつらくなるのも、罪達哉の自己犠牲精神に胸を打たれた、というのが大きいのではないでしょうか。ただそうなると、「達哉は犠牲になったのだ…」というオチにしかならなくなり、サブタイトルの罪と罰があまり意味を為さなくなります。ましてこれがミステリーだと完全に物語の外にアウトしてしまった達哉が犯人扱いです。物語としてはそれで完結しているのですが、あまりに救いがないしこのままでは達淳が幸せになりません。
10年前の初恋の人(舞耶)と、現在大切に思っている恋人(淳)の両方を守るという、最後の最後で漢を見せた達哉、という認識で見る事にします。「淳しか見えない」を選択しているためです。罰に罪での関係が引き継げる事は、リサの呼び方が変わる事で保証されています。

罰での罪達哉の存在があることで、「舞耶の死亡は完全になかったことにはならなかった」ことになります。そのため、罰ENDで達哉は罪世界に戻らざるを得なかった。「舞耶が死亡する罪世界という可能性を、自分が罰世界から消える事で否定し、消し去ることで舞耶を守る」という方法を選んだのでしょう。
ここまではいいのです。何故そうしたのかが問題なのです。

ここで、罪世界での10年前の約束を思い出してみましょう。彼が淳との約束を大切に思っていたことは、代用品のライターをわざわざ買ってまで持っていたことからもうかがえます。
達哉と淳は、「ずっと一緒に『お姉ちゃん』を守る」という約束をし、その証に、互いの宝物を交換しました。このサイトの考察では、この約束は現実でも幻想でもあったことになっています。

淳が自覚していたかはともかく、達哉にとってはこの約束には2つの意味があります。「舞耶を守る」ことともう一つ「淳とずっと一緒にいること」
この「一緒に」というのがポイントなのです。「二人のうちのどちらかが頑張ろうね」ではないのです。
しかし、罰世界ではそうせざるを得ず、ラストの寂寥感漂いまくる達哉の笑顔にはきっと、淳とのもうひとつの約束を守れなかった自分への不甲斐なさや罰世界における淳の幸せを願う気持ちなど諸々あったんだろうなと推察してしまいます。
10年前の約束に「一緒にいる」という側面を見いだしたのは達哉だけかもしれない。しかし舞耶を守れなければ、かつての罪世界の淳が悲しむことはまぎれもない。本当の意味での約束が果たせなくなるため、達哉は敢えて自己犠牲への道を選んだのです。

ここまでは、起こっている事なので想像可能です。
この先は、公式からは何の解答も出ていません。罰の達哉は「刑事になる」という夢を見つけたようですが、罪世界の達哉は『向こう側』に帰ったことだけ語られましたが、その後消息が不明となりました。
ここで、ひとつの疑問に突き当たります。
どちらが、本物の達哉なのか?

・罰の達哉が本物であり、罪の達哉はその一面に過ぎない場合
 罪罰をプレイすれば、罪世界のほうを本当の達哉だと認識してしまいますが、あくまでも観測者は舞耶。罰の達哉も、シャドウのようにあたかも登場人物の一人として、登場させる事が可能なのでは、という推察もできます。そして罪達哉は、「この海でいつでも会える」とどこかの海神の申し子みたいなことを言います。この場合の海とはおそらく「心の海」でしょう。意識と無意識の狭間に自分はいるのだ、と暗に居場所を告げているのです。まさに、哀れ思念体…
『特異点』とは、科学的に存在してはいけない存在のことをさす事もあります。まさにファンタジー部分の権化であったような、『意識だけ同化した罪世界の達哉』は現実に存在できないし、してはいけないのです。

・罪の達哉が本物であり、罰の達哉は罰世界にのみ生きる存在である場合
 考察1で語った、『罪』の物語を送り出した現実の達哉のもとに還る、という解釈をしてみました。罰の物語を彼が知っていたのか、知らないのかはまだそこまで考察が及んでいませんが、そのうちはっきりさせるつもりです。
 考察1では時計を交換した淳が存在し、罪罰の時点で描かれている淳は時計を交換した淳ではない可能性についても述べました。
 10年前以来、達哉と淳は別れたきりという状態、と仮定します。
 もしかしたら、罪の観測者である達哉は、罪の物語を世に送り出す事で、淳に自分を見つけてもらう事を求めているのかもしれません。なかなかにメンタルの弱いところがあるので不思議ではありません。
 『罪』では約束を忘れていたのは達哉のほうですが、現実ではぎゃくに、約束を忘れているのは淳かもしれない。
 しかし、幻想世界ならばいかようにもできますが、現実で10年前に約束をして別れたきりの淳が、たった一人の達哉を見いだす事など奇跡にも近い。
 彼はその奇跡に縋って、「Innocent Sin」という物語を書いた。もしかしたら、それはインターネットという環境かもしれません。ここもまた、ひとつの海ですから。


『罪罰』内の達哉と淳について、いくつか達淳(淳達)的に考察を立ててみました。

1.橿原淳≠黒須淳
 かしじゅんは罰世界のみに存在する淳であり、そのため罪世界をそもそも知らない=思い出さない。この点に関しては罰達哉も同様なので、罰達哉と橿原淳の共存には問題はない。

2.「罰」は舞耶の主観で語られる物語である為、淳の環境が大きく違う。(=淳の幸福な環境を作り出したのは観測者である現実の舞耶である)
 そもそも、罰は「誰にとって理想の物語だったのか」を踏まえると、主人公である舞耶の可能性がもっとも高くなります。1の考察と微妙に違うのは、元は罪の世界の淳ではあるけれども、舞耶の「淳を幸せにしたい」という願望が大きく投影されているため、罪世界の不幸に深く関わる淳をあえて外していると考えられます。

3.「罪」は達哉の語りで構成された物語であり、「黒須淳」はその中でのみ存在する淳である。(=達哉の願望が生み出した存在)
   これは、罰で達哉が橿原淳とのライターと時計の交換を『返せるものがない』と拒否した事&罪のシバルバーでの回想シーンで、まだ父親が健在で、離婚していない幼少時の淳の名字が「黒須」である事から出てくる考察なのでガシャーンされる可能性が高いです。が一応。

   ・過去(前提):「二人で一緒にずっとお姉ちゃんを守る」という約束は実際にあった。ただし、時計を交換した淳≠黒須淳

   ・罪本編(幻想):達哉はその思い出に縋るように、ライターを手放す事はなくずっと持っている。
   ・幻想:噂が現実化する世界で、達哉たちが無意識に「ジョーカー=淳」と連想した事も作用して、ジョーカー様の中の人発生
   ・『黒須淳』のこれまでの経緯もまた、淳という存在に依存する達哉本人の断片的な記憶と望みによるもの
   ・孤独のなかで、誰かを救いたい、守りたい、心から信頼され,愛されたいと無意識に願ってしまった達哉が望んだ存在が黒須淳。
   ・罪世界のリセット時の台詞は「ただ、(自分を生み出してくれて)ありがとう」という意味にも取れます。
   ・黒須淳もまた罪世界でのみ存在するので、罰の橿原淳に記憶を引き継げない。

   ・現実:幼少時達哉は当時の淳の名字を知らなかった。人づてに女優の「黒須純子」の息子という情報だけを得ていたため、自身が描写する『罪』でその設定をそのまま利用した。

    引かれる方が多いと思うのですが…大本命の考察はこれです。淳がジョーカーとして存在しないためには、とくに達哉が彼を許す事が絶対の条件とされています。また、達哉が淳を恋人として選んだ場合(親友となった場合も)周囲の人間や交渉相手の悪魔は彼らの関係を否定しません。罪の淳はもともと達哉のためだけに存在しているように見えるんですよね。(マリオネッテという表現はその伏線)
    ただ、1回目の考察で書いたように罪罰は独立した物語であると仮定しているため、罪世界の枠の中では淳はまぎれもなく一人の人間であり、罪達哉の考えのままに動いているというわけではありません。また、達哉にその自覚もありません。あくまで彼自身も『罪』のいち登場人物に過ぎないわけですから。淳本人は、それに気づいているのかどうかは想像に任せられることとなりますが…
かみくだいていうと、「罪世界においてはどのような達淳的な想像をしても成立する」ということです。物語の行間といえばいいのでしょうか。たとえば、達哉と淳がラブラブな創作があったとして、それを「達哉の妄想ですし」と否定する事はできないということです。それは、現実においてそうかもしれないという一つの仮定に過ぎず、幻想(想像)の世界ではそれが真実となり得るのです。
これは根底には「罪の観測者である現実の達哉による淳への何らかの想い」があると考えるひとつの根拠になります。あくまで罪世界において達淳的な想像をしたとしても、それは想像の域を出ないかもしれませんが、「達哉と淳が恋人同士になる」ことを選択された時点で、現実世界において達哉の淳への想いは真実になるのです。また、恋人同士となった各会話で、もっとも達哉が必要としている部分に触れているのも淳です。

4.「Eternal」とは無限ループであり、達哉はパラレルワールドで無限に淳との出会いと別れを体験しなければならず、それこそが罰である。
  一番最初の考察で書いた、現実に珠領椶乃こった事件をもとにしたパラレルワールドがいくつも発生し(罪と罰はそのうちのひとつ)、その都度シチュエーションを変え達哉は淳とすれ違うことになる、という想像。二次創作向け。ハッピーエンド派だとちょっときついですね…


5.達哉と淳が「ずっと一緒にいる約束を守れない事」が罪であり、「ずっと一緒にいる事が許されない事」が罰である、これも無限ループ。
   悲劇的すぎますが、これは達哉を救済する事で解消されると思います。

6.「罪罰」の観測者はいずれも、10年前(1989年)に時計を交換した淳である。
   観測者が達哉である考察の逆バージョン。これを前提に考察を組み立てていくと
   ・達哉は1999年以前に珠領椹圓ら出ていなければならない(=現実世界では事件の当事者であってはならない)
   ・観測者である現実世界の淳は何らかの形で達哉の情報を得ていなければならない
   ・いずれの場合においても、淳から達哉へのなんらかの一方的な感情は必須となる。
   ・ただし一歩間違えると達哉は行方不明のまま、舞耶は死亡確定となるバッドエンド。

   これまで、観測者を達哉として考察を進めてきましたが、こっちの可能性もありうるんですよね…。しかもどっちも達淳的にすごくいい感じという。まさにさっき気づきました笑 これも、今度つきつめて考えてみようかなと思います。


ペルソナ2は解釈する人次第で色々な物語が見えてきて本当に深くて面白いですね。まさに99年秋の珠領椹圓箸いη箱です。私の場合は、達哉と淳に強く惹かれたものですので、お話も二人が中心になるのですが、例えば栄吉とリサとか、舞耶中心とかでも見えてくるものは色々違うと思います。

竜騎士07氏の作品である「うみねこのく頃に」(この考察も、かなりこの作品寄りな考え方となっています。)で、私の敬愛するキャラクターの言葉にこういうものがあります。
人生の意味も、価値も、人生そのものすらも、人が自分で描くんだ。……押し付けられた運
命が何だってんだ。受け容れるな。世界はお前が紡げ、自らで…」

ペルソナ2において語られている『世界』とはまさに彼の言うように、自分自身の内面ということなのでしょう。
同じ事柄でも、見方を変えるだけでハッピーエンドにもアンハッピーエンドにも成り得る。それをするのは、神でもだれでもなく、自分自身。
なので、罪のエンディングで世界が壊れたと描写があったとしても、実際に世界は壊れてなどいないのです。
それを、誰の主観とするかが今後考えるべきテーマになっていきそうです。


また考察も思い出した頃にちょくちょく更新すると思います。とりあえず、今日はここまで。
原稿が一段落したら、しっかりと準備して自分なりに解釈した考察を踏まえた長い話を書こうと思っています。描きたい漫画のほうを優先したいので上のどの説を下敷きにするかも、いつになるかもちょっと不明なんですが笑
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